ウルトラマンエースとタロウの二年間に関して。
さて皆さん、筆者です。暑いね。
筆者が幼少期は、まだテレビゲームというものに無限の可能性を見出すメーカーが多く、様々なゲームハードが星のように現れては消えていきました。
そんな風に、パイオニアが偉大だと、我も続けと言わんばかりに様々な後追いが生まれます。
特撮ヒーローにもそういった時代がありました。
1970年に端を発する、「ヒーロー戦国時代」です。
さあ、どれだけの熱狂だったのでしょう。
ちょうどその時代に直面したウルトラマン「エース」と「タロウ」の二年間を語っていきます。
ではスタート!
ウルトラマンの裏番組も特撮ヒーロー?
1970年の、公害問題を材に取った、ピープロの「スペクトルマン」を皮切りに、日本では様々なヒーロー番組が生まれては消えていきました。
我らウルトラマンでも「帰ってきたウルトラマン」が製作されましたが、この時代の一番の成功者は東映の「仮面ライダー」でしょう。
さて、帰ってきたウルトラマンは一定の成功を収めましたが、続く新シリーズには、ライバルが多い中、特撮ヒーローのパイオニアとしての強力な企画が求められました。
そこで、メイン脚本家三人がそれぞれ持ち合った案を、市川森一氏が取りまとめ、「ウルトラエース」という企画が設定されました。
これは、異次元人ヤプールが生み出す怪獣を超えた生物兵器、超獣と戦う銀河連邦のヒーローの物語で、ウルトラ兄弟という設定を明確に押し出すことが売りになりました。
しかし、商標登録上の問題で「ウルトラエース」の名は使えず「ウルトラマンエース」となり、どこか暗雲が立ち込め始めました。
そして作品が開始されますが、北斗星司と南夕子、男女二人に命を託し、二人が合体して初めて変身するというスタイルには制約が多く、敵の主格であるヤプールは何とも形容しがたい曖昧な存在感となり、また超獣も生物兵器という点から、ウルトラ怪獣らしい自由なイメージではなくなるなど、問題が百出しました。
また、メイン脚本家の市川森一氏が定義していた、ヤプールは人間の心から生まれる絶対に滅ぼせない悪、というイメージも、他の脚本家には理解されず、話の筋が見えない状態に陥りました。
しかも、この当時、裏番組に「変身忍者嵐」というヒーロー番組があり、それもプレッシャーになりました。
市川氏は、ウルトラ兄弟が十字架にかけられるというショッキングな「エースキラー」の回を執筆してメインライターを降板、実体が無いはずのヤプールは、一匹の超獣のごとき姿に具象化し、絶対に滅ぼせないはずがエースに倒されます。
そして、エースの変身に必要な存在、南夕子は、変身に用いる指輪を北斗に託し、自分は月から来た宇宙人だとカミングアウト、宇宙へ去り、その後は北斗が単独でエースに変身するようになります。
これによって、エースの特徴的なファクターは、全て失敗したのです。
帰っては来たけど
北斗が単独で変身するようになった「エース」は、ますます没個性的なシリーズとなり、その後半に市川氏が帰ってきます。
これも、自分から書きたくて戻ってきたわけではなく、プロデューサーに「最初を書いたなら最後を書きなさい」と言われて嫌々書いたそうですが。
終盤の二本は、ヤプールの生き残りによる復讐が描かれ、「女ヤプール」は「勝ったものは負けたものの怨念を背負って生きていく」旨を北斗に言います。
そして、ヤプールが化けたサイモン星人の奸計にはまり、自分の正体を明かす他無くなった北斗は、最強超獣、ジャンボキングを倒すと、地球人としての生を捨ててM78星雲へ去ります。
そこでの言葉はこうです。
「優しさを忘れないでくれ。
弱いものをいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえその気持ちが、何百回裏切られようとも。
それが私の最後の願いだ」
これは、子供たちへの直球なメッセージに見えて、子供たちの優しさを裏切らなくてはいけなかったエースの完全なる敗北宣言なのです。
こうして、商業的には成功したものの、目指していたものとは程遠い、没個性でブレの多いドラマとして完成しました。
冒険は飽きたのさ
エースに続く1973年、円谷プロは、会社発足十周年という節目に、初代ウルトラマンに原点回帰した「ファイヤーマン」、ロボットヒーローの活劇性を重視した「ジャンボーグA」というヒーロー番組を制作。
更に、円谷プロの十八番ということで、ウルトラマンの決定版を作る動きになりました。
そこで目指されたのは、エースで唯一、成功した新要素、ウルトラ兄弟に、更に父と母を加えたウルトラファミリーを前面に出し、また徹底したファミリー志向、陽性のストーリー、娯楽性、何よりも新要素で冒険しない安定性でした。
更に「アラビアンナイト」や「日本昔話」などを彷彿とさせるファンタジックなイメージを取り入れ、初代ウルトラマンとは少し違う意味で、子供が入っていきやすい、明るく分かりやすいドラマが心がけられました。
昔話だから「タロウ」なのです。
その制作体制、ドラマツルギーにはブレが無く、やや年長のオタクには軽視されることもありますが、明朗快活な娯楽作になりました。
オイルさえ!オイルさえあれば!
「タロウ」制作中、体制を揺るがす問題が起こりました。
それはオイルショックによる物価高です。
これで作品のクオリティを下げる他無かったタロウで、確かに特撮は寂しくなったのですが、基本、明るい、牧歌的な作品としてのドラマまで崩されることはなく、最後に主人公、東光太郎は、自らウルトラの力を捨てて、人間の力でバルキー星人を倒して幕を閉じます。。
これも、ウルトラマンに頼らない、人間が頑張るのが必要なんだ、という初代ウルトラマンのメッセージに回帰していますね。
ウルトラマンエース、タロウ、まとめ
この後、物価高を受けてハードな世界観で展開する「ウルトラマンレオ」に続くことになりますが、その話は今度にしましょう。
いつの間にか特撮ヒーローブームも終焉し、子供たちの興味はロボットアニメに向かっていくことになります。
それでは(@^^)/~~~
コメント